不定形

不安定な時期を抜けて。
ボクは今、軌道に乗る準備をしている。
 
終業式がありました。
お涙頂戴の式ではなかったけれど、なんとなく迫ってくる悲しさ、焦りを感じたのを覚えてます。
「ぼんやりとした不安」でなければよいのですが・・・。
 
そろそろまじめに未来を見据えないといけないわけです。
どんな職種につきたい、だとか、どんな身分になりたい、だとか。
もちろん選べるものばかりでもないですけど。
ともあれ、「ぼんやりとした不安」”に似た”ものを感じていることに、代わりはないようです。
 
 
軌道に乗ることですら夢。
 
軌道に乗るための準備段階ではまだ不安がある、不安しか見えない。
それが普通だよ、なんていわれたって安心できそうにない。
まぁ、そういうのが普通なのかもしれないけれど。
 
楽観的に見てはいられなくなるのかな。
ただでさえ、マイナスを見がちなこの目から、そんな自分を支えるための眼鏡を取っ払ってしまったら。
世界は、この目のせいで、何もかも、真っ黒にしか、見えなくなってしまうだろう。
目がいい加減なのか、眼鏡がいい加減なのか。
それとも、そもそも見えている世界がいい加減なのか。
・・・疑い出せばきりがない。
 
現実を視ること、理想論を語ること。
そのどちらにもいえることは、そう捉える「方向性の塊」が根本にあるということ。
この「方向性の塊」は混沌としていて、光とも闇とも取れるような彩度で、善とも悪とも取れるような加減で、渦巻いている。
―すなわち、「心」だ。
 
ボクが眼鏡をつけていること、ボクの目がゆがんでいること。
そう思ってしまうこの心こそが最大の歪み。
いい加減なものに、いい加減だなぁ、なんていう自分もまた、いい加減なのだけれど。
 
まだまだ、不安定さは続く。
さよなら、去年。
やぁ、今年。
また君か、不安定。