教育

何かを教える。
それにもやはり順序があるものでしょう。
 
 
何かを表現するには感性・技術・判断力が必要だと思います。まぁ…取得できてない未熟者が語るにはまだ早いかもしれませんが。
さて。
良いものを表現しようとするときにはまず何が必要か、ということです。
判断力があっても感性・技術がなければ意味のないもの。
同様に感性があっても判断力・技術がなければ単に自己の夢物語に浸るだけです。
ということは、まずは技術が必要というわけです。まあ、冷静に考えればすぐ分かりますよね。
では、次は何が必要か。
それは判断力です。
演奏に例えるなら、音を出すことの方が大事だということです。
いくら想像力が豊かでも、ソロになったときにとても聴いていられないようではダメなわけですね。
 
基本を作る。
何にしても、それ以上の良策なんてないわけですね。
 
そう考えたときに、です。
 
未熟な状態にある人、事に対しては、まず技術に関するコツを教えるべきですよね。
その世界の人として「先生」である以上、その世界の人として「先輩」である以上、最低限の務め以上のことをするべきです。
もちろん、先生・先輩だけの問題ではないです。ですが、それに甘えてはいないでしょうか?
後輩・弟子に問題があるのは、彼らをとりまく環境にあることは確かなわけです。
大勢相手にそれを細かくやっていくのは非常に大変なことですが、それでも支える側の人間としては、皆にそういう態度でいるべきではないでしょうか。
 
 
だから、感性を磨けとただ言うようでは、ダメなのではないでしょうか。
確かに、感性は与えるものではないです。
ですが、それを作らせるきっかけを与えることは、無理難題ではないはずです。
日常的なことを引き合いにだしたり、誰もがあるあると思えるような、そういうことを挙げるだけでも、充分違うと思います。
だから、相手に感性を磨いてほしいときは、ただ押し付けるだけでなく、アドバイスや具体例とともに教えると良いでしょう。
 
ただし、その際はなるだけ擬音語や擬態語以外の表現を用いる必要があります。
具体性が失われ、それこそ無理難題を押し付けるようなものになります。
 
 
ま、相手に育ってほしければ、相手に色々な経験をしてもらわないといけないわけで…。
経験させる、というのもまた、大事なわけですね。
 
ともあれ、教育者たるもの、忍耐力は必要というわけですな。