重責
原爆で失われた命。
何万もの星の輝き。
ついさっきまで生きていた人が、ただの閃光と共にいなくなる。
…そんな世界だった。
8月15日は終戦記念日です。
長崎の閃光から、6日後のことです。
原爆で失われた命は、それはそれは多い、多すぎる数です。
…ですが。
かつての日本軍が絶望を与えた人たちの数は、それ以上なんです。
日本は被爆国だ、とか騒ぎますが、それと同時に日本は元加害者なんです。
人民の死、という観点からすれば、B-29だけが悪い訳じゃないんですよ。
自分は、戦争を知らないし、願わくば知りたくもない。
…そんな、臆病者の平和論者な気がします。
ただ、そんな立場でも言いたいことはある。
戦争は、ゲームじゃない。
だが、ルールのない殺しあいでもあるべきではない。
…秩序のある殺しあい、っていうのも、なんだか矛盾しているんですけどね。
今は幸い、国連だとか、平和維持活動だとかで割りと平和っぽくなってます。
それでも、銃声が止んだわけでもなし、悲鳴が聞こえないわけでもなし。
そんなもんです。
正直、ね。
平和になんかならないと思ってる。
平和ってのは、ある意味「温室」なんだと思う。
だから野生の状態の方が、多いでしょ?詰まるところ。
戦争は、悪いこと。
…それが万人に通じるなら、今頃私達は人類愛を築いていたでしょうね。
そうじゃないのは、何故か。
…人だから。
人だからですよ。
知性を持ったが故に、受け入れることができなくなったわけです。
知性は、様々な恩恵をもたらした。
力、秩序、社会、国…。
そして、血の代償。
神に捧げるための流血?
悦楽に浸るための殺傷?
…違うね。
全ては崩れた知性さ。
噛み合わなくなった歯車が、ただ単に暴走してるだけさ。
ただね、それはただの傷じゃないんだよ。
決定的な致命傷なんだよね。
禁忌に触れてみたくなること、あるよね?
それと同じさ。
人を殺したくなったり、辱しめたり。
…「おかす」ことに、憧れを抱くんだよ。
それがいつしか目標となり、手筈を整え、実行し…。
これで立派なイレギュラーの出来上がりさ。
…そんなもんだよ、狂人ってのは。
バーサーカーには言葉は通じないのさ。
力だけが、彼の血であり肉であり、更には彼の言葉となるからね。
だから核を使う。
それに怯えた一般人が恐怖を抱き、悪知恵を吹き込まれ、あたかもそれが神であるかのようにそれを信じ込み、対抗しようと、また自らも核にすがる。
ミイラ取りがミイラになる瞬間だよね。
そんなもんさ。
恐怖を前にして人は冷静さを失うんだ。
あとは生まれもっての本能だけ。
それが「後退」をとるか、「突攻」をとるかだけさ。
そういう風にして、人々の恐怖を煽る。
絶望したくないから、その障害となるものに絶望を与える。
実に簡単なロジックさ。
人間が動物であるいい証明になると思うけどね。
戦争を推し進めるのは大抵そういうバーサーカーさ。
嫉妬を覚え、焦りを抱き、恐怖に怯え、冷静さを欠き、誤った道へと全速力で突っ走る。
そんでもってそのバーサーカーがお偉いさんだと大変なわけさ。
愚民たちはお偉いさんを信じ、良民たちは粛清され、ただの民はこき使われる。
国単位で誤った道へと突っ走ることになるわけさ。
それがまさに、太平洋戦争だったわけだ。
だからね、こうも思うんだ。
悪夢から覚めるには、それ以上の悪夢が必要なんだ、って。
原爆という非人道的なものを使わなければ、きっと日本は、それ以上の非人道的行為をしてただろうからね。
だから。
ボクは。
言いたい。
被爆国として、元加害者として、この日本を受け入れなきゃいけない、って。
絶望を与えられたのは、広島・長崎の同志達だけじゃなく、同志達に討たれた者みんななんだ、って。
戦争を快諾しては、いけない、って。
何より、自分は自分らしく、他人は他人らしく、あるべきだ、って。
…数々の同志、そして戦火にのまれた人々へ。
悔やんでも悔やみきれない思いと、担いでいる十字架の重さ、そして、そんななかでも希望を諦めなかった精神力の高さに敬意を感じ、ここに一個人として、一人の日本人として、謝らせていただきたい。
戦火の絶えない地球に、ただひとつだけ花束を送りたい。
どの命もみな、哀しまないように…。