歩む

どもです。


最近は不思議なバンドも増えてきましたね。

Crossfaithとか。
Fear, and Loathing in Las Vegasとか。
BLOOD STAIN CHILDとか。

シンセとかダンスサウンドとかとシャウト、グロウルなんかが共存する世界ですか。

よくよく考えてみたら凄く不思議な組み合わせ。
BLOOD STAIN CHILD聞いてた時とかはあんまり思わなかったけど。
先日Fear, and Loathing in Las Vegasを知って改めて考えてみました。



人を躍らせるためのサウンド
自分のドロドロを吐露するためのグロウル。

確かに「人の心に訴えかける」という点では共通項があるかもしれません。

が。

理解に苦しむ。


なんというか、嫌いじゃないけど、奇をてらっているだけのような気もどこかでするのだ。


それに必然性を感じない。
Fear, and Loathing in Las Vegasなんかは「Nextreme」ではクリーンで普通に歌ってたりしますしね。
何がしたいんだろう。

「何がしたいんだろう」と思わせるだけで勝利宣言するならそれでもいいんですけど。
それ以上に何かあるんだとしたら、まだちょっと理解するのは難しいかな。


メッセージ性。


歌詞以外の、その曲の「抽象的な」輪郭が自ら持っているメッセージ性。


歌詞と、そのメロディーが合致しているのか。
そこですよね。



むぅ。

しかしまぁこういうのも時代の風潮かな。
仕方ない、と言うべきか、いやまだいけるだろ、と言うべきか。


そりゃまぁな。
ああいうクソみたいなアイドルポップが手放しで歓迎される国だもんな。
そりゃまぁ、そうなるか。


いずれにせよ。
自分の目指すべき到達点はその上にあるということです。
ゴミクズ以下のアイドルポップなんかはもとより、こういう新時代を作るかもしれない予備軍達をも上回る、圧倒的な世界観を持たなければ音楽の頂点は目指せません。

つまり彼らは予備軍はライバル、あるいは格上の敵です。

彼らに追従するも、彼らに真っ向勝負するも自分次第です。

ですが、いずれにせよ、今以上の名声を得るためには。
目の前の敵の、あるいは敵と仮想するものの、その上を跳躍しなければならないのです。




ヒーローは、スターは、誰もが踏むステージの、その一つ上のステージで華麗に舞い踊り続けなければならない。



過酷な道だ。
根気がいる。
体力もいる。
もはや執念なんていうレベルじゃない。


それでも、やるしかない。

「この道以外に歩む道なんてない」と決めたんだ。
逃れるなんて、もってのほかだ。


一歩ずつ、歩いていこう。



それでは。
おやすみるく