I love music.

むぅー。。。
 
今日はスキー教室の影響で休みでした。
なのでずっとPCのt(ry)・・・もとい、宿題を。
・・・やってたのかなぁ。。。
やってなくは無いさ、一日中するほどの気力は無かったけど。
 
んで、その気力回復中に何を見ていたかというと。
午前中は主にDTのドラム&ライブの映像、ゲッダン。
午後からは「Call of Duty 4」のプレイ動画。
 
DTの方についての感想は省略。うまいぐらいしかいえないので。
 
ただね、ドラムと銃声を聞いてて思ったのは・・・。
ドラムの激しさも、機関銃の轟音も。
 
同じようにしか聞こえなくなってきているなぁ、と。
 
音声とかを扱う事のある人なら分かるはずなんですが・・・。
波形、です。
もちろん波形はドラムと機関銃じゃ違いますよ?
ただ、その「波形として捉える」感じに近くなってきています。
波形、として音楽を捉えるようになってしまったのなら、ボクは本気で音楽を諦めます。
波形、として音を捉えるのを良しとするならば、ボクは音に執着するのをやめます。
 
音は決して真実を語らず、音は決して嘘をつかない。
だからといって音はカタチを持たないか、といわれればそれは否だ。
音には表情がある。
柔らかく、女性的な面を見せたかと思いきや、はたまた勇ましく、男性的な面すら見せる。
女神の微笑みも、悪魔の嘲笑いも。
ポップでファンキーなものから、古風漂うレトリックなものまで。
そしてなにより、聞き手を選ばない。
科学によれば、音は空気中を振動させることによって伝わるらしいがそんなもんどうだっていい。
音楽に理屈はいらない。そこに音を出すものがあればそれでいい。
Beatなんて言葉が一番しっくりくるだろう。
音楽は鼓動だ、呼吸だ。
No music, No life.
 
で、話を元に戻すと。
どうもおかしい。銃声が当たり前のように。悲鳴が当たり前のように。
人ならではの特徴として、「慣れ」がある。
しかしながら、その慣れは時として人を大いに傷つける。
自分自身の倫理観が崩れていくこの気持ち悪さも、きっとこいつのせい。
平和に縛られながら、争乱を嘆いている馬鹿である。
争乱を嘆きながら、平和を絶対と思い込んでいる阿呆である。
 
しかしながら、ふと思う。
平和を望むのは戦争があるところ。
戦争に興味がわくのは平和なところ。
何回も何回も繰り返して、何度も何度もそれに気付いても、なおやめないのは何故なのか。
そこに平和も戦争も無いから、秩序なんて初めから無いから。
あえて言うなら、本当はどこもかしこも戦争地域であるが、休戦となっているところが平和と称されているだけなのである。
そもそも、戦争なんて自らの利益を勝ち取る、誰かから奪い取るもの。
食欲すらない人でもない限り、誰かしら欲は持ってる。
それを止めろというほうがおかしいのだ。
いや、「止めろ」と言っている時点で、もうそこにその人の利があるんだ。
奪い、奪われ、繰り返す。
それがたとえ、命であったとしても。
 
正義も、悪もないこのセカイ。
だからこそ、ボクは。
そこに正義も悪もいらない音楽が好きなんだ。
 
正義を掲げて虐殺する行為よりも、愚か者といわれようがかまわずに演奏していたい。