上に立つこと

今日は栄光祭に行ってきました。
 
ヲタク系の展示物もあってびっくり。
ま、一般人から痛い目で見られること間違いなし、の展示でしたが…。
そういうのも普通に認める栄光さんの寛容さに泣いた。
レポート形式にまとまってれば何でもありなのでしょうか…。
 
暇だったのでピアノコンサートに。
いやぁー、もしかしたら普通のピアニストには弾けるものなのかもしれないですが…。
表現力豊かだね!イヤ、ホント。
リスト作曲のを退いている人もいたしね。確か「溜め息」っていう題名の。
プロにはちょーっと劣るけど、ボクみたいな人が聞く分には充分良い演奏だったと思います。
 
 
で、本題の吹奏楽部。
 
指揮者がアグレッシブだった…。
それに呼応するように演奏者も応えてたので、なかなか面白い演奏でした。
ホント、感化されました。
ディープ・パープル・メドレーは絶対に負けないよ!いいドラム叩いてやんよ!…って思った。
栄光さんはうちらに(演奏技術的な意味合いで)喧嘩を売ってきたと考えていいですよね?
 
偏差値で勝てないなら、吹奏楽で勝てばいい。
勝ち負けは全てじゃないけど、時にはそうやって自らの意欲を高めるべきだと思う。
 
 
そう。
同学年の人をライバル視するのは大事だと思う。
ただ、どっちかと言えばライバルよりも好敵手位の方が、心構えとしては正しいんじゃないかな。
「蹴落とす」よりかは「おっ、お前さんなかなかやるねぇ」位の方が、多分イライラしないですむと思う。
自らを高めるのは、相方・相棒がいた方がより効率がいいし、意欲的に取り組める。
 
 
今日の司会は、自分と同学年でした。
つまりはね、自分達もそういうのを任されるだけの年なんだ、ってこと。
 
大橋のぞみちゃんは、自分達よりか年下ですよね?
そんな彼女が自分達よりも輝いているように見えてならない、自分達は手を抜いているようにしか思えない。
彼女は彼女なりに、今を頑張っているし、慣れない現場だろうとなんだろうと、子役として頑張っている。
ましてや彼女より年上の自分達は、もっと危機感をもって意欲的に取り組むべきではないのか。
年相応だ、なんて勝手に決めつけないで、むしろ年不相応なくらい頑張るべきなんだ。
 
一年、また一年と同学年のパートリーダーが増えている、パートの責任を負う同学年が増えている。
運動部は中学と高校が分かれているところが大多数なんですよね。
そんななか吹奏楽部は中学高校混同しているわけです。
 
上に立っているなら、上に立ってしまったなら、それに相応しいだけの責任感、それに相応しいだけの何かしらを持つべきです。
逆に言うならば、そういうのをやりたいならば、それ相応の何かを持っていなければならないわけですね。
 
 
来年のクラブ紹介でから同学年から一人指揮者が出るんですよ?
再来年にはもう確実に一番上なんですよ?
 
威張りたいなら、人に認めてもらえるだけの実績がなければね。
だからボクは威張れないのよね。
ホント、やれやれよ。