虚数「この世界に愛なんてないんだっっ!!」

――――山折り線――――
 
タイトル?関係ないよ?
 
― ― 谷折り線― ― 
 
 
 
さて、ここからシリアスな話。
 
死とは、生とは。
 
 
 
「死刑になりたくて人を殺した」
殺人者の決め台詞ですね、全然決まってなんかないけど。
捉え方によっては変な話、無差別無理心中、というわけです。
犯人がどういう心境下にあって殺害を試みたかはわかりませんが、少なくとも、犯人は自殺ができないほどの甘えん坊さんだったことは確かです。
何だかんだいって、自殺は簡単には出来ないものなんですよね、普通。
よほど精神がやんでない限りは、自ら誰かの死を求めることはないわけです。
だから、その軽重を問わず、その人の心は病んでいるわけです。
もっとも、病んでいるからその人の刑が軽くなるか、といえばそうではありませんが。
 
 
刑、というのはつまり他者から差し出された救いの手なわけです。
救いの手段、病との戦い、更正するためのチャンスなわけです。
もし、「ついカッとなってやった」人、「今は反省している」人ならそれは容易に受け入れられます。
しかし、そういう人は基本的に少数の命を奪う人であり、殺人鬼からは(どちらかといえば)遠い人というのが大半です。
もちろん、そうでない方もなかにはいらっしゃいますが…。
 
殺人鬼は、殺しが性的欲求に代わるんですね。
人を殺すこと、命を奪うこと、それらに対する考え方が常識を逸しているわけです。
殺人に快楽を求めるわけです。
…サディスティックの極みなわけです。
あるいは、現実から逃げるために、現実を殺すんです。
現実を抹消するために、その現実を知る者を、片っ端から消去する。
力とバカの一つ覚えのなす、現実逃避のひとつの方法です。
いずれにしても、彼らは凶器と狂気に頼りすがっていきる、不適合者達なわけです。
 
 
破壊と殲滅、そして抹消。
犯人が消したいのは、まさしく自分なんです。
それができない、それをしない、それと、向き合わない。
弱くなってしまった自分を認めないばかりに、ますます弱くなっていく。
…出口がわかっている無限ループなんですよ。
Escボタンを押せば抜けられる、無限ループなんですよ。
 
 
彼らの代わりにそのボタンをおす役割、それが刑法なんです。
彼らに気づかせるための、刑法なんです。
 
 
先ほど「刑は救いだ」と言いました。
それは死刑もまたしかり。
犯人にとっては、それが一つの救いなんです。
 
しかし、遺族には?
 
死して償ってほしい気持ちは当然ある。
しかし、彼が死んだら、被害者は帰ってくるのか?
彼の命を移植するように、被害者の命は戻るものだろうか?
 
仇、ってのは無限ループなんですよ。
殺されたから、代わりに殺す。
殺されたから、代わりに殺す。
…それの繰り返しなんです。
 
加害者側にも家族、あるいは保護者はいるだろうし、彼の罪を受け入れた上で、彼を支える人も中にはいるだろう。
そんな、彼の理解者から彼を奪うのか。
 
人を殺めるのは、道徳的観念からすれば、たとえ刑法だろうとも許されないわけです。
ましてやその容疑者が、実は冤罪だったなら、彼の無罪はもう二度と帰ってこない。
刑法が加害者となりうるわけです。
だから、むやみやたらに人を死刑には出来ないのです。
 
では、終身刑はどうか。
なかなかいい刑罰ですよね、生き恥をさらし、一生悔やませる。
 
しかし、綺麗事で世界が成り立つなら、お菓子の家はあちらこちらに建っているはずなのです。
国にも「予算」があり、それが終身刑を許さない状況にあるとも言えます。
現実が、平和な未来を否定するわけです。
 
 
ごめんで済むなら、警察はいらない。
なら、警察がいるならごめんはいらないか?
 
 
つまりは、死を与えない、という刑罰も必要なわけです。
死がすべてでも、生き恥がすべてでも、放置がすべてでもない。
被害者に対して一生分の謝罪と、渇れ果てても未だでようとする涙を素直に捧げられるようになるまで。
あのときの一瞬を、永遠に悔やみ続けさせられるようになるまで。
許してはならない。
許しては、ならない。
 
 
刑罰は、許すこと。
刑罰は、妥協すること。
 
代弁者なんていらない。
声がほしい。
声が。
 
 
 
与えられし十字架と、他人から奪った十字架。
重さは二倍なんかじゃない。
何倍も、何倍も、重いんだ。
それを抱えて、それを背負って、生きてほしいんだ。