Re:write

実は今日って「チャタレー事件」の日なんですよね。
詳しくはWIKIにあるかと。
 
ここ試験範囲だからねー。
 
 
さて。
 
時代の変わり目、ってホントは今なんじゃないんですかね、とふと思う。
 
ボクの持論の一つに「あることの中にいる人は、その中にいるという事実を認識しづらい」というのがあります。
思ってるより近くに、感じているよりも強く、そこに「それ」はあるんだと思います。
 
リーマン・ショックや昭和を飾ったスターたちの死去、政界の変動に凶悪事件の増加…。
挙げればきりのないほどあるわけです。
しかし、よくよく考えてみれば、時代は変わりゆくもの、流れは過ぎ行くもの。
いつ時代の変わり目があってもおかしくないし、今ももしかしたら変わっているかもしれない。
それくらい、時代とか流行とかは、コーヒーゼリーなんかよりも揺れてるものなんじゃないっすかね。
…ま、美味しいかどうかは別としてね。
 
 
話は変わりまして、以前、焦りと羨ましさを肴にして書いたこともあるのですが。
 
まあ、そういう生き方もあるよ。
一般的な生き方じゃない、そんな路線もある。
もちろん、そちらの方が小石はおろか、崖崩れだってありかねないし、大変だよ。
でも、その分だけ絶景が見られるのだとしたら、その生き方の方が断然羨ましい。
 
同年齢で、あるいはプラスマイナス五歳くらいの人で、第一線を進んでいる人もいるわけです。
そんななかで。
 
…自分は?
 
…こんなところで、何を悩んで、何に立ち止まって、何を恐れて、何故なにもしないのだろう。
 
回りを見渡せば、充分過ぎるほど輝いている人がいる。
回りを見渡せば、夢半ばにして凶弾に倒れた人もいる。
夢を叶えたり、今を楽しんだり、笑ってたり、泣きながらでも歩いたりしてるのに。
 
…自分は?
 
…自分は?
 
 
目的地にたどり着けるならばどんな回り道でもいい。
その扉を開けるならどんな重労働でもいい。
 
それは、本当に、未来のためになっているのか?
それが心配だから、今こうしているのかもしれない。
 
道を変えるなら今かもしれない。
そう思い続けているし、きっとこのまま立ち続けているならずっとそう思い続けるだろう。
 
…自分は。
 
…自分は、臆病者だ。
 
そうだ、チキンだ。
だったらなおさら、鷹や鷲のようにあるべきなのではないだろうか。
 
 
昔の自分は言っていた。
「多種多様な才能はいらないから、一つのことに熱中できるくらいの短気さが欲しい。」って。
…表現はこの限りではありませんが。
 
 
なにか一つでいい。
なにか一つだけでいい。
誰にも出来ないような…いや、誰にも出来ないことをやりたい。
やるからには、頂点を目指したい。
 
その為の今なら、喜んで全てを賭けよう。
全身全霊、一生涯、この意思も、この身体も、この怒りも、この髪の毛の一本一本も。
それら全てをかけて、なにができるのだろうか。
 
 
…時代の変わり目はすぐそばにある。
 
時代は自分自身と共にあり、また自分自身が時代だとすれば。
 
自らの転換期なんて腐るほどあるわけだ。
 
だから。
 
腐らずに次代に向けて、進むしかない。
第一線で輝く星々の光すら、取り込むほどの、光になるためには。
 
 
ここで、立ち止まっている暇は、ない。
 
 
 
 
さぁ、リライトするんだ。
描きたい世界は、それではない。
さぁ、リライトするんだ。
新たな世界の執筆者は、他でもない、自分なんだ。