Talking

じんぼんばー。
 
さて。
アダルトロさんに感化されたので、ちょいと面白いテーマを。
 
 
喋り。
 
自分は結構独り言が多いんですよね、実は。
そんなことが幸いしているのかは定かではないですが、自分は喋りに関してはそんなに悩むことはないです。
 
なんかね。
話していると次々に話題が出てくる。
 
ただね。
そこで次々に話し始めたりはしないんですよね。
話しちゃうと、言いたいことがだんだんずれてきて、自分を見失うわけですよ。
そうするとただただグダグダ話すことになるわけですよ。
それはキライなんですよね、自分。
グダグダ話すのも、グダグダ話されるのも、苦手。
うっとうしくなるんですよね、どうしても。
なので、なるだけ簡潔かつ簡単に、を目指してます。
まあ、なんだかんだで難儀でグダグダになっちゃうんですけどね。
 
 
喋りのネタは腐るほどあります。
先生に対する愚痴、くっだらない話、音楽、漫才、ペット…。
知識ではなく、発見なんですよね。
もっとも発見したあとは「知識」になっちゃうんですけどね。
 
あとは感性ですかね。
空気を読む、ってのも感性。
空気を壊す、ってのも感性。
創造の世界です。
一つ一つの言の葉を集めて花を咲かせるのも、すべてを凍らせる呪文を唱えるのも自由自在。
喋りは、自分を広げるようにも思えます。
 
 
毎度のことで聞きあきたでしょうけど。
それはやっぱり音楽でも絵画でも、もちろん執筆活動でも同じな訳で。
何かをすることで自分が変わることに、変わりはないわけです。
その変わり方が多種多様だと、それは「芸術」になるわけです。
 
個人こそが「芸術」。
個性こそが「芸術」。
 
感性も本能も、一つ一つに込められた方向性がアートなんですよね。
だから感性だけを磨くのは、芸術を突き詰めるにはちょいと辛い方法なんですよ。
その人の中にある衝動とかをどれだけ引き出せるかも大事なんですね。
 
 
そうそう。
喋る時は、もう一人の自分と話しているように思うのもいいかもしれません。
他人だけではなく、自分自身と対話するのも、一つの喋りだと思います。
だから独り言も、悪くはないかもしれませんね。