らしさ

今日はちょっと鬱モードなので、閲覧注意。
 
意味不な表現がたくさん含まれる恐れがあるので、注意。
 
 
それでは本編。
 
 
 
最近思う。
 
 
自分は人ではないんじゃないか、と。
 
まぁ他人と違う、なにかを逸している、とかって問題じゃなくて。
自分が自分に思えない。
かといって他の誰かなのか、というわけでもないし。
結構不気味である。
 
 
自惚れるつもりは一切ないけれど、「同世代・一般人なら大方出来る」ことは大抵出来る。
うん、出力に関しては全く問題ない。
こうやって気分の落ち込んでいる人として自らを出力したり、あるいはちょっと危ない人として自らを出力したり、さらには接しがたいようなオーラを持った人として自らを出力したり。
アウトプットする分には何ら問題はない。
 
 
けど、入力しようとするとエラーのサインが点滅する。
同期するのに少々手間がかかる。
 
 
自分が自分である、という情報に関してはかなりの頻度でエラーの文字。
 
 
必ずどこか遠くで冷ややかな目をしてみている存在がある。
「否定」にも似た、大仏の目が。
 
 
まぁ逆に考えれば。
その存在を少しでも遠ざけられた時、自分は「感動」するんだと思う。
つまりは、視線はリミッターということらしい。
 
 
 
なんかね。
自分は「ヒトガタ」なんじゃないかと思う。
ロボットにしては誤作動が多くて、人間にしては無機質すぎる。
パペットのようなこの心。
パペットならばどれほどよかったろう。
それならそれで割りきれただろうに。
 
 
頭が固まっている。
表情が死んでいる。
食い倒れ太郎がニコリともしなくなったらこうなるのだろうか。
それとも、自分が笑えばせめて食い倒れ太郎くらいにはなれるのだろうか。
いずれにしても、随分と野生的な感情くらいしか頭にない自分なんて、という考えらしい。
 
 
まとも、ってなんだろうね。
一般、ってなんだろうね。
 
その昔「人とは違う」と強く思った自分がある。
そのせいか、今では随分と寂しく思うようになった。
まぁまだ完全に野生的になったわけでもなさそうだし、復帰しようと思えば復帰できるかもしれない。
そんな予定なんてないけど。
 
 
 
変わり者はいつでも孤独だ。
違うチャンネルを持っている以上、見える情報が一般人とは違うわけだ。
そうなれば、どんなに冷静でも、微塵の焦りも感じない、なんてはずがない。
しかしその焦りもむなしく、余計に変わり者になっていくだけ。
 
 
自分は変わり者と呼ばれるほどたいした人間ではない。
ただの馬鹿である以上に何もない。
 
 
まぁなんだ。
理念が理念だからなぁ。
 
 
「いつ死ぬのかわからないなら、いつ死んでもいいように、今を生きろ」
っていうね。
模範的な刹那的な生き方ですよ。
 
それ以上に何を望む?
地に富を積んで何になる?
 
「無価値」を考えれば、こんな発想にもなるわけですよ。
 
 
そんでもって頑固だからなぁ。
心が広く見えるのであれば、それは単に無関心なだけ。
優しく見えるのであれば、それは単なる興味か空気を読んで仕方なく、のいずれかだろう。
 
きっと自分のそれは、本当のそれとは似て非なるマガイモノなんだろう。
 
 
人は、苦手だ。
苦手な人が作り出していった無機質を扱うことには長けているのに。
 
 
全ては、嘘。
 
 
この視界も、この感情も、この曲も、この身体も。
意識に躍らされて、そう感じているだけ。
本当にあるものは、ない、という存在だけ。
いや、それがあるかも疑わしい。
 
どうせ、寝れば忘れること。
そんなものに、躍らされて、いい気になって、絶望して。
よくあること、で片付ける。
だから、自分は「ヒトガタ」なんだろう。
 
 
でも。
 
そのすべてを受け入れるには、自分のメモリーが足りなさすぎる。
 
 
早く人間になりたい
 
 
悪魔でも超人でもなんでもないのに。
 
 
 
自分は、何だろう。
 
自分は、例えようもない何かなのだろうか。
 
自分は、何処だ。