勝たず嫌いに告ぐ

さて、部活のない倦怠感漂う週間を皆はどうしていたことでしょうか。
自分は・・・ブログの通り、作曲したりサッカー観たりあせったりしてたわけで。
ま、それはそれで面白い日常でしたが。
 
 
 
 
さて、習志野高校の吹奏楽部を見て。
 
「うちの部活と何が違うんだろう」
と本気で思ってしまいました。
 
練習や姿勢は変わってない・・・はずでした。
しかし、よくよく考えてみると、その根底が違うような気がしたので、今日は長々と書きます。
見づらくなるかもしれませんが、あしからず。
 
 
 
部活動、なんとなくやってませんか?
練習すればいい、それは本当ですか?
 
 
 
確かに、部活動でやったことがそのまま将来につながる人なんてごく僅かです。
だから「気分転換」や「特技作り」のためにやってるのかもしれない。
 
しかし、それがそれをやる人の態度であっていいのだろうか。
 
ただ特技を作るだけならスクールでもなんでも行けばいいんです。
気分転換だって他にもいいものがたくさんあるはずです。
それを部活動の一環としてやる以上は、そのためだけじゃないんだ、と感じてほしいです。
 
 
確かに、喜ばしい事に、我が部は数年ぶりに銀賞を取り、活気付いていて良い雰囲気である、とは思います。
 
しかし、本当に銀賞で終わってよいだろうか。
いや、むしろ来年も銀賞以上が取れるという証拠があるだろうか。
 
 
 
ネット上だから何でも言っていいというわけではないことを承知した上で、あるいはこの「藤里希美」という名前を名乗った上での発言をします。
現実世界で大いに反論してくださって結構です。
きちんと受け止める覚悟は出来ているので、以下のように書きます。
 
 
 
正直、今のままなら来年は銀賞取れなくても当たり前。
人数制限がどうとか、期間がどうとかって話じゃない。
単純に、技術的にも、表現力としても、どうにかなるようなレベルに達していない、それが実感です。
 
練習していない、とはいいません。
もちろん、中にはそういう不届き者もごくごく稀にいるのですが、チューニングには力を注いでいますし、全体基礎練だってきちんとしている・・・はずだと思っています。
やるべきことはやっている、はずなのです。
 
しかし、それ以上がない。
簡単に言えば「モチベーションが低い」。
 
同輩以下からは、より高みを目指している、という姿勢が感じられない。
「ちょっと上手くなればそれでいい」、「合奏で問題がなければいい」、「吹けりゃいい、叩けりゃいい」。
そんな中途半端な根性が垣間見えます。
 
それは、赤点を取らない程度に勉強するのと一緒です。
経験から言って。
 
自分も、正直、そうでした。
だからあまり手の込んだ練習をしてこなかったように感じるし、伸び悩んできたな、と思ってます。
 
違うんです、やってないんです。
階段を上がろうとしてないんです。
 
 
自分と同年代の輩が、さして変わらないはずの輩が、観衆にちやほやされるのを見てて悔しくないのか?
天才とかなんだの言われてちやほやされてるやつらを見ていて恥ずかしくないのか?
 
自分は、悔しい。
自分なら、恥ずかしい。
 
「ちやほやされるのがそんなにうらやましいのか?」
「金賞がそんなに偉いのか?」
 
確かに、うらやましいし、言うほどに金賞にこだわっているつもりはありません。
しかし、逆にそうは思わないのか?と質問したくなります。
 
 
自分はそんな能力がないから、そんな才能がないからいいや、なんていってすぐ諦める人、その勝手な理論があなたを堕落させていくのです。
ダメだと思いながらも、無駄だと思いながらも、それを信じて人の何十倍も努力している人のほうがよっぽど賢いです。
下手の横好き、なんていいますが、それでも何の思いも抱かずにやってる人よりかは遥かにましです。
 
上手くなりたい、が目標の人。
それだけですか?
上手くなってあれこれしたい、そうは思いませんか?
むしろ「あれこれ」を願わずに練習して、何の意味があるんですか?
そんなのは、はなっから覚える気もない式を丸暗記させられているのとなんら変わりません。
だから、身につかない。
 
 
銀賞でよかった、で終わりの人。
まだ上があるんです、安心するのはまだ早いですよ。
金賞取ったって、まだその上の予選があって、さらに全国がある。
それこそ、「普門館にいってやる」くらいの意気で臨むべきなんです。
来年がある、じゃなくて、来年しかない。
そう思ってこれからを精進して欲しいです。
 
この調子で、と思ってた人。
そんな心持じゃ無理です。
残念な事に、わが同輩の中で飛び切り抜きん出て上手い奏者はいません。
仮にいたとしても、そんな余裕を感じている隙に他校に簡単に抜かれてしまいます。
大体、今年の練習は例年以上の気の張りようでした。
それで銀賞だったのですから、金賞はとてもとてもとどくものじゃありません。
悲観的になる必要はありませんが、そんな余裕なんか最初からないんだ、ということを念頭に入れておいて下さい。
 
 
なぜ自分がこんなにも金賞を語るのか、まだ言ってませんでしたね。
 
結論から言うと、個々人に自信を持っていて欲しいから、です。
 
昔、親や先生にほめられてうれしくなった、そんな記憶はありませんか?
そういう時って、自分自身に力がみなぎってくるような気がしませんか?
 
そういうことです。
金賞なんてのは所詮目安でしかなく、それ以上に「金賞を勝ち取ったんだ」という自信をもって欲しいのです。
 
 
先ほども言いましたように、今の同輩以下のモチベーションは低いように感じれます。
だから、なるだけ一丸となれる、かつ簡単な目標の一つとして、「コンクール金賞」が挙げられる、そういうことなのです。
 
 
 
別に金賞じゃなくっても、と逃げる人、まぁ待て落ち着け。
別に下手だから、と逃げる人、まぁ待て早まるな。
 
 
自分は別にいい、っていうのは明らかな自己満足・自己中心です。
部活は、一人のためだけにあるのではないのです。
 
「One for All , All for One」
誰しもがその言葉を聴いたことがあることでしょう。
部活とは、まさにそれなんです。
 
 
ソロ奏者の人、あるいはこれからソロ奏者になりたい人、良く聞いて下さい。
 
ソロを任される、というのは、オケでいうところのコンマスに選ばれるのとほとんど変わりません。
非常に重要なことなんです。
それなのに、「ソロさえそつなくこなせりゃいい」と思うのは大間違いです。
そういう人は、大抵ソロでこけてます。
 
自分のソロで、その曲の全てが決まってしまう、と思える人であってほしいです。
実際そうなんです。
後々感想を聞いてみると「ソロが惜しかったよね」と言われることも時々です。
 
 
 
部活をやる、ましてや集団で一つの目標に向かう、ということを改めて再認識して下さい。
ただだらだらと練習するのではなく、自信を持つために、仲間のために、と目的意識を持って取り組んでください。
そして、技術だけでなく、その根底の「伝える」ことに対して貪欲になって下さい。
 
そのために、まずは、金賞。
 
 
 
まぁ自分のようにジャグリングのようにタンバリンを投げる、なんてことはしなくて良いです(笑)。
しかし、そう思い切れるだけの自信、そしてそれが出来るだけの余裕、それらはもっておいてほしいです。
 
 
それでは。