J-POP衰退近し
というわけで、宣言通り暴言吐いていきます。
始めに書いておきます。
これから発する暴言は基本「音の集合体」として曲を評価するものであって、歌詞や歌声を厳密に評価するものではありません。
しかし、それ以上のパフォーマンスをしている人に関しては、そのパフォーマンスについて素人目線で評価する場合がありますので、ご了承ください。
今のJ−POPに満足していますか?
今のポピュラーミュージックに満足していますか?
オリコンは絶対ではありません。
メディアによって過度に宣伝された楽曲が評価されるのは当然のことなのです。
メディアを味方につけるのは確かに一つの大きな武器です。
しかし、味方につけるための、いわば「商業用」の音楽はもはや音楽ではありません。
それはもう音楽の顔した財源接収法なのです。
そして、そういったものばかりが評価され、それが「良い」音楽だと洗脳するかのごとく大々的に取り上げられる。
それがJ−POPの現状です。
ほぼ例外なく。
まずは手始めに、今滅茶苦茶売れてるアーティストについて言及します。
AKB48。
「会えるアイドル」として秋葉原を中心に活動するアイドルグループ。
そのメディア展開は凄まじく、最近ではゲームすら出ました。
元々アイドル、というもののあり方が気にくわない。
「可愛らしさ」や「カッコよさ」を一番に売りに出すカリスマ性に富んだタレント、を指すものです。
しかし何故か歌う。
さして上手くなくても歌う。
ちょっと上手いと今度はそれを第一に持ってきて自分の戦法にしてしまう。
音楽が完全に食い物にされている。
その事態が自分を憤慨させています。
今に始まったことではないだけに余計に。
で、そんな「アイドル」であるだけにとどまらず、無駄に数が多い。
アイドルと言い張りながら特A級の可愛らしさがあるわけでもない。
別に歌声に迫力があるわけでもない、ありきたりな王道アイドル楽曲を大合唱してるだけ。
48人いる必要がない。
しかも3チームに分けて戦略的に売り込む意味がわからない。
最初から少数精鋭でアイドルグループやっているならばまだしも…。
「成長を見守るアイドルグループ」とかなんとか言っているようですが。
コアなファンでもない一般人にその主張は伝わってこない。
単純にメンバーの売り込みと「数打ちゃ当たる」楽曲の多さしかない。
完全に商業用の音楽である。
そういう点から言って、AKB48を手放しに喜ぶことはまずない。
ちなみにモーニング娘。など他アイドルグループにしても当てはまる。
いくら声優が好きとはいえ、同様の戦法ならもちろんアウトだ。
人数にあった楽曲、ではないのだ。
もちろん、ダンスは人数に合わせてあるだろう。
しかし、歌唱パートはどうだろう。
肝心のサビで大合唱、というのがオチである。
せいぜい多くて3パートほど。
あとは1フレーズソロかペアで歌わせるだけ。
別に10人とかいらない。
その点、JAM PROJECTは素晴らしい。
サビは皆違う音階だし、声量も皆素晴らしい、ソロでの実績は折り紙つき。
唯一の欠点は「熱すぎる」ことくらいだろう。
曲として評価するならば文句なしの三ツ星である。
大勢でやる音楽をなめきってはいないだろうか。
人数をきちんと活かしているだろうか。
甚だ疑問である。
続いて関ジャニ∞。
CD音源と生歌との差が素晴らしいね。
同一グループなのか?と思いますよね、違いすぎて。
同じジャニーズと比べたときに、です。
TOKIOという兄貴分は関ジャニ∞より少ない人数で関ジャニ∞以上の素晴らしさを魅せている。
ほぼ同じ人数のKAT-TUNやNEWSの方が歌も上手いし、観客に対してのアピールも上手い。
関ジャニ∞のアピールポイントは何?
中・高校生らしい荒々しさ?
アイドルを盲信できる人にはそれでも良いんでしょうが、そうはなれない自分です。
音楽的な面だけを考えたとき。
あれは何ですか、学祭のバンド部門で優勝したバンドの優勝凱旋ライブですか?
百歩譲って演奏面は不可がないものとしましょう。
ボーカル受け持つ人のほとんどがああいう大きなステージに似つかわしくない歌唱力です。
自分にはそう聞こえます。
彼らより上手いバンドはゴマンとあります。
それなのに彼らが立ったステージに今も立てずにいるバンドがほとんどなのです。
おかしくないですか?
商業用の音楽に洗脳されすぎです。
せめて洋楽かインディーズで第一線をいくバンドを聞きましょう。
今のJ-POPは恥ずかしいです。
仮にもJapanの「J」の字を冠しているのですよ?
それがなんですか、少女時代やKARAなどのK-POPに侵略されているではないですか。
で、その状況においてもなお「J-POP」と言い張っているのですよ。
どういうことですか。
いいですか。
今のJ-POPは停滞しています。
一つは浜崎あゆみ、倖田來未を核とするディーバ路線。
もう一つは新進気鋭の女性アーティストによる通称「着うた」世代路線。
この二つに大体の曲が当てはまるのです。
たった二つに。
それに比べて、同じJapanの「J」の字を冠するJ-ROCKは、今も変わらずに変化しています。
9mm Parabellum Bulletのような王道歌謡rockから、凛として時雨のような鋭利な冷たいrock、BUMP OF CHICKENやRADWIMPSのような丸くも核心を突くrockもあれば、B'zや矢沢永吉といった熱いrockもあり…。
留まることを知らないのですよ。
日本は今急激に変化しています。
そんな中で変化していない「J-POP」、はたして本当に「J」の字を冠する必要はあるのでしょうか。
保つことと留まることは違います。
保つことは変化の流れに合わせてなるだけもとの状態でいることです。
留まることは変化の流れそのものを否定しているのです。
一時KYなどという語が流行りましたね。
そのような語を生み出したのは紛れもなく「洗脳された」人々なのですよ。
彼らの語を借りるのであれば、この変化の渦を否定すること、それこそKYであると思います。
J-POPは衰退していくでしょう。
例えダンスミュージックやラップが残ったとしても。
大体今J-POPのアーティストが扱うネタなんて決まってるんですよ。
「会いたい」「寂しい」「別れ」
大体がそんな恥ずかしい語で占められてますよ。
あとは取って付けたような横文字。
そしてそれが面白いようにウケる。
それが今のJ-POPですよ。
似通って、オリジナリティーを失って、保守的になっている今のJ-POPに明日はない。
進化のないものは排除される、それは太古からの決まり。
J-POPもまたしかりです。
さて、話変わりまして。
アニソンはJ-POPやJ-ROCKとは同じ天秤では計れません。
何故ならば、例えばJ-POPやJ-ROCKを音楽における「フォルダ」だとした場合、アニソンは音楽における「タグ」だからです。
故に、一口にアニソンと言っても、王道アイドル路線もあれば、俗に「電波」と言われるジャンルもあり、さらには過去のJ-POPやJ-ROCKに色濃く影響を受けた作品も数多くあるのです。
何が言いたいか。
アニソンは必ず日本をリードする。
J-POPなんかよりも、大きく、大きく。
アニソンはこの20年間でガラリと変わった。
残酷な天使のテーゼ、ハッピー☆マテリアル、ハレ晴レユカイ、もってけ!セーラーふく、Cagayake!GIRLS…。
とにもかくにもサウンドの変化の仕方が著しい。
と同時にアニソンの演奏技術の向上も目を見張る。
有名な演奏家がバックを支えてる、なんてことも今ではザラだ。
そして何より作曲センスの素晴らしさには脱帽である。
アニソンは本来元のアニメを尊重しなくてはならないもの、だからそれに見あった世界観で曲を作らねばならないのだ。
故に限られたもののなかで一番いいものを作り上げねばならない。
だから、皮肉なもので、このような制約がある方が自然と曲を素晴らしいものへと変貌させやすいのだ。
本当に素晴らしいものはメディアなんかに頼らなくても評価される。
自然と素晴らしいと言われるようになる。
実際そうだろう?
「世界に一つだけの花」や「千の風になって」なんかはそうだったじゃないか。
メディアを信じるな。
メディアに惑わされるな。
特にテレビには気を付けろ。
そして、音楽を聞け。
容姿やスタンスじゃない。
耳から入ってくるものが音楽だ。
目や鼻から音楽を聞くやつなんていないだろう?
舌を肥やすのもいいが、耳を肥やすのも大事だと思う。
もっと、本当に大事なエッセンスを感じられるような音楽を聞くべきだ。
もはやジャンルは問わない。
ただ、娯楽としてだけで音楽を聞くのは勘弁被りたい。
極論を言えば。
音楽には聴覚と考えるアタマだけありゃいい。
視覚や触覚なんてのは飾り程度なんだ。
目を覚ませ、耳の穴よくかっぽじって聞け。