Re:自分は、愚か者だ。

いやはや、今ほど自分は浅はかだと思った事はない。
 
 
 
ちょっとね。
昨日の記事に関してね、とあるところで意見を頂いたのですが。
そのことでね、改めて。
 
 
 
「世界を変える気はない」
その意思に偽りはなかったし、今だって、赤の他人をどうでもよく思うほどに無関心であることが事実である。
 
でも、それは「世界」の見方がかなり違ったようだ。
 
昨日書きそびれましたがね。
実は「世界を変える気はない」、の裏側に「ただ支えてくれる人のためだけに」っていう意思がありましてね。
決してカッコつけるためではなく、これは本当に本心。
偽善だ、って思いながらも、それでもいいのかもしれない、とも思ってもいます。
 
だって、得体の知れない人物を分け隔てなく愛せるほど、自分はまだ聖人君子なんかにはなれないから。
だから、今はそうやって、小さな小さなありがたみを伝えていきたい、と密かに思ってます。
こうやって書いている時点で、もう密かでも何でもないんですけどね。
 
 
そうですね。
その人たちのもつ「世界」を狂わせてみたい、とは思ってますね。
 
人は誰しも「自己」っていう名の色眼鏡で"Sekai"を見ている。
その眼鏡の色が付け加えられた状態の"Sekai"を「世界」だと認識している。
そしてそれが「絶対」である。
 
その絶対を狂わせてみたい。
自分を信じてくれている人たちの色を、さらににごらせてみたい。
 
その点では、「世界を変える気なんてない」なんてのは嘘ですね。
自分にだって、それくらいの野心はありました。
 
 
ただ。
Perfect stranger達の方が多い「世界」を180°回転させる気はないです。
 
 
要は。
世界、を「一人一人に焦点をあてた」世界として考えるか、あるいは「個人を排除した大衆的な」世界として考えるか。
その違いのようです。
 
 
自分は後者としてしか世界を感じていなかったのが事実。
かなりの偏見で"Sekai"を見ていたことが何より悔やまれます。
 
 
 
 
 
もう一つ。
 
 
 
 
音楽は「音を楽しむ」、あるいは「楽しい音」と書いて音楽です。
そしてそれは自分の今までのモットーでもあったし、これからも「演奏者としては」忘れないでおきたいことです。
その点、自分のなかには「楽しむ」ことが大前提としてインプットされていた、はずなのです。
 
しかし。
昨日書いたように、こんなに楽しいものが人の汚していいようなものではない、というのは実感です。
 
もっとも、エモとかヘヴィメタルとか、あるいは現代音楽のような、本当に本当に奇怪なものを好んで聞いているような人が「崇高」なんて本当にバカげた話ですがね。
どこに旋律があるのか、どこが小節線の区切りなのか、はたまた、結局何を伝えたいのか、通でなければわからないようなもの、それを「崇高」と一括りにするのは、さすがに少しためらいますがね。
 
 
 
自分は、音楽が好きだ。
でも、同じくらい恐怖も感じている気がする。
 
怖い。
 
何が音楽なのか、何が楽しいのか、何が本当なのか。
答えなんて要らないけれども、それでもある程度の目印くらいは欲しい。
 
 
やはり、これも視点の話である。
 
「誰にでも伝えられる、楽しい楽しいツール」として音楽を語るのか、はたまた「真相・真理のわからない得体の知れない奇妙なもの」として音楽を語るのか。
それは、アイドルの音楽性と民謡の音楽性とを比較するのと同じくらい違う。
 
楽しいことと、理屈的なこととは、なかなか相容れないところがある。
 
―音楽は楽しい。
 
ではそうなる理由は?
そういう風に思える理屈は?
そのように思わせる楽曲における重要なエッセンスは?
泣きのフレーズと技巧的なフレーズの一番いい比率は?
どのような楽器を使えばそう思わせられる?
名曲にはどんな秘密が?
楽しいのは本当に音楽だからか?
一体全体音楽って何から出来ているんだ?
 
作曲をするようになって、自分の音楽観はかなり変わってきた。
「ウケる楽曲って?」
「マイナー?それともメジャー?」
一つ一つがとても気にかかるようになって、なかなか純粋に楽しめなくなった。
 
それでもやっぱりどこかで「これ楽しい」とも思える。
でもその理由は分からない。
 
その曲のコード進行を引用しても。
その曲のリズムパターンを引用しても。
メロディーを工夫しても、インストゥルメンタルを凝らしても。
 
そのうちの何一つとしてしっくりこない。
「これが音楽だ」と思える楽曲を作れない。
 
そのことがかなり自分を変えていると思う。
 
 
楽しいと思うのは簡単だ。
楽しい事を伝えるのは、非常に厄介だ。
 
 
どうあっても、その真理にたどり着けない。
触れる事はあっても、決してつかめない。
その駆け引きが楽しいし、そして何よりもどかしい。
 
 
だから、この世界が好きなんだけどね。
 
 
今だって、他の誰にも負けたくなくって仕方がない。
未来のライバル達を蹴散らしてやるために、今はありとあらゆる知識を叩き込んで、自分自身の質をさらに磨き上げたいと思っている。
 
 
音楽だけが、自分の全て。
他の事では、何一つとして誰かの上に立つ資格なんてない。
 
 
だから、何でも知りたい、何でも知っていたい。
 
 
楽しい事も、苦しい事も、それが個人の「世界」を変えて、そして本当の"Sekai"すら変えていくことも。
その何もかもを知っていたい。
 
そう思わせるほどに、怖い存在であるということも。
 
 
 
 
 
 
 
これからも、演奏者として、作曲者として、音楽には必ず携わっていくだろう。
その時自分は、楽しさも真理も伝えられるだろうか。
 
 
 
まだ不安定。
まだ、ゆれる。
 
 
 
誰でも始められるし、誰しもが楽しめる。
しかものめりこめば人の人生を大きく狂わせる。
 
音楽は、どこまでも、優しくて、どこまでも、非情だ。
そんな音楽が、自分は大好きだ。
 
 
 
だから。
触れたいし、でもそっとしてもおきたい。
 
 
崇高、というのは、多分そういうところからきてるんじゃないかな、と思う。
 
 
 
 
 
 
多分続く。