Re:Re:自分は、愚か者だ。
そう、音楽に明確な答えなんてない。
例えば。
自分はBUMPがその答えだったとする。
しかしある人はRADと主張する。
またある人はZUNだと言い張る。
人によって答えが違う。
それでは意味がない。
また、音楽を研究することと音を研究することはかなり違う。
少なくとも、自分は「波形」として音楽を捉えているわけではないし、その手段に「波形」を変化させたりすることはあっても、その目的が「波形」であるわけではない。
そう、空気。
ライブでも思うし、楽器を触っていても思う。
どんなに精巧なイヤホンやヘッドホンでも表せないもの。
それは、その音楽が生まれる瞬間の緊張感と柔らかな温かみ。
時々。
自分は長紋さんとドラムやパーカッションを用いて即席でセッションする事があります。
もちろん、明確なメロディなんてなく、時としてテンポも揺らぐこともあります。
それが果たして曲と呼べるほどに質のいいものかは分かりません。
しかし。
そこには確固たる「音楽性」が存在する。
相手の叩く音をよく聞き、相手の動作をよく見、盛り上がりと盛り下がりをよく観察し、それでいて自分の出したい音を正確に出すように励む。
そこには非常に神経質な音楽性と、それでいてこみ上げてくる情熱がある。
そんな時、ふと、あぁ、音楽やってるなぁ、と実感したりするわけです。
イヤホンやヘッドホンを通してでてくるのは非常によく再現された「波形」であって、「音符」であって、「曲」である。
でも、そこに本当の「音楽らしさ」があるか、といわれれば、甚だ疑問である。
何故なら、どんなに音質がよい状態であったとしても、そこには表面的な「音楽」しかないのだから。
そして厄介な事に、この「空気」は非常に言語化しづらい。
スリル、安心、優しさ、楽しさ、哀しみ、激情・・・。
そのどれをとっても的確に表す語はない。
だからこそ。
そういう等式が成り立たないからこそ、音楽は非科学的なものであって、芸術なのである。
そう、絵画にしても同じである。
色には心理的な効果を与えることが学術的に解明されている。
例えば、黄色なら注意、赤ならば興奮、といったように。
しかし、絵画は決してそういった「色による心理的な効果」だけで人を惹きつけているわけではない。
また、より現実味のある「リアリティ」だけで惹きつけられているわけでもない。
Surréalismeなんかもそう。
奇妙さだけで人を惹きつけているわけではない。
つまりは。
そういった表面的な判断だけでは芸術を語りつくす事は出来ないわけだ。
必要なものだけを集めればいいというわけではない。
要素だけでは、意味がない。
人には何かと不可解なものがある。
皆が同じようにうなずくものなど、ないに等しい。
少なくとも、芸術に関してはそういえるだろう。
芸術は科学にあらず。
芸術は、魂なり。
ってね。
生の感覚が一番いい。
下手に要素を盛り込むよりかは、乱雑でも生の方がいい。
そちらのほうが、より深い味わいがあるから。
ライブを好きになったりするのは、そういうのがあったりするのかもしれないよね。
っと。
長々と書いてきましたが。
とりあえずここらで一旦ピリオドを。
それでは。