いやらしい生き方 されどそれこそが「処世術」
どもふー
最近常日頃思うこと。
「口は災いのもと」といいます。
「壁に耳あり、障子に目あり」といいます。
たとえば。
いつ、どこで。
だれによって。
自分の存在を消されてしまうかなんてわかりません。
だからこそ。
可能な限り、人に恨まれないような生き方をする必要があると思います。
もちろん、他人と共存する、ということそのものがすでに誰かに迷惑をかけることになります。
しかし、それは同時に向こうからの迷惑を被ることがある、その貸しを作ることができる、とも考えられます。
しかし。
その貸しを返せ、と催促するのはあまりにもナンセンスです。
自分だっていつ借りを作ってしまうかわかりませんから。
それに、この世はどうせ「信頼できるかできないか」です。
でしたら、仮にそうでなかったとしても「信頼できる」ように見せかけておくのが大事なことです。
つまり。
貸しの多い人生、それでいてその催促を執拗にしない寛大な心を持つ、あるいはそのように見せかけることが大事なのです。
バックアップは可能な限り多いほうがよいです。
コネクションは持つべきものであり作るべきものです。
言っておきますが、コネは決して悪いものではありません。
自分を引き立ててくれる人にあたれば、自分が伸びる、自分が人の上に立つ機会を与えてくれる可能性が高まります。
あるいは引き立てる側からすれば、そのような有能な人材を「育てた」ことそのものに高評価がつくわけです。
つまりどちらから論じてもこの上ない利点があります。
欠点なんてどうせ「ウワサ」ぐらいです。
そんなもんは「赤の他人の下馬評」なのですから、頭抱えて悩むほどではありません。
しかし、そのように見えるような「姿勢」を自分がしている、ということは念頭に置き、そのイメージを払拭できるような「姿勢」に変えていかねばならない、ということを常に念じておくべきです。
どのような時代であっても、年長者に認められ、同輩に意識され、後輩の注目を浴びるようにあること。
そして何より、欠点以上の長点によって多くの支持を集めること。
これこそが、妬まれないで生きること、殺されないように生きることだと思います。
物騒な世の中だからこそ、人々の意識も変えていかねばなりません。
もちろん、日常レベルまで。
驕らず、煽らず、しかし確固たる実力と信頼を。
と、常日頃そのようないやらしい、しかしある意味ではもっともな生き方ができるようにと考えております。
少なくとも「殺されないように生きる」というのは本音。
まだ死にたくなんてありませんから。
っと、らしからぬ暗い話をしてしまいました。
明日は能天気な話をしますね。
多分。
それでは。
おやすみるくー