軽く憤慨の為
どもふー
何か不思議な話を聞いたのでちょっとだけ
どうやら私に関する言われもない噂を広めてる人がいるとかっていう話を聞いたよ
もちろんこれも噂
これどっちが正しいんでしょうねぇ?
噂の内容こそ知らないにせよ、どうせ私以外の誰かを持ち上げるための噂でしょう
あるいは私を妬んだ誰かによるものか
ま、賛辞だけが評価じゃないし
火の無いところに煙は立たないしね
…もっとも、焚き火程度の煙を山火事と捉えているのはどうかとも思いますけどね
実際私は普通のぐうたら星人ですよ、ブログからも分かるかと思いますが
寝てばっかり遊んでばっかりですよ
それを隠すつもりもないし、それだってれっきとした「私」の一つ
良いところばかりが人間じゃないのは、各々の身体が証明しているわけですから
悪いところとか醜いところがなけりゃ人間じゃないんです
一応自分は「人間」をやってるつもりなんで、それがどういう人間か、くらいは公表しておこうとは思ってますよ?
実際、常日頃の部活はパートリーダーである同学年の人に任せっきりになってたりね
あるいは自由気ままやらせてもらってたりね
割と頭が上がらないところもありますよ
その一方でその人から局所的とはいえ後輩の指導を丸投げされてるところもあったりね
勿論後輩の面倒も(彼の半分以下とはいえ)見てます
決して何もしてない訳じゃないんです、少ないだけなんです
さっきも言いましたが、人である限り、どんな人にも必ず長所と短所があるはずなんです
それをね、人の短所ばかり責めるんじゃね、纏まるものも纏まりませんよ
お互いをいがみ合って責め合って互いに孤立するのが関の山ですよ
あるいは人の長所ばかりあげるんじゃ馴れ合いになりますよ
善悪もごっちゃになってその内それは内部崩壊していきますよ
バランスが必要です
責め合ってるばかりでは、建設的なことは生まれません
他人の揚げ足をとるだけじゃ何一つアドバンテージは生まれません
攻撃的な、高圧的な人と見られて、その内自然と人は去っていきますよ
誉めあってるばかりでは、進展しません
傷の舐めあいをしてるだけで根本からの傷の手当てにはなってないのです
その内歪んだ友好関係として付き合いが進んでいくのは目に見えてます
「○○すればいい」なんて方程式はありません
大事なのは「この人は」と一人一人に「公平に」しかし「注視」することだと思います
うわべだけの、社交辞令的な付き合いなら御免です
傷に触れあって、栄光を讃えあって、共に「人間を哲学」してくれる人であって欲しいものです
ま
噂は所詮噂です
信じるも信じないも人次第気分次第
例えそれが親族であってもね
親が絶対なんて、誰が決めた?
神が絶対なんて、誰が決めた?
「絶対なんて無い」なんてのも絶対ではない
この世なんて矛盾と虚栄と欺瞞と、信頼という輝かしい罠で出来てるんです
月夜ばかりと思うなよ?
それでは
おやすみるく