病気

怪我はいつか必ず治るもの。
治らないものは、怪我とは言わない・・・。
 
今日の夢は不思議な夢でした。
みのりんから電話があったのですよ。何の脈絡も無く。
動揺するボクにもかまわずに話を続けるみのりん
(ちょ・・・ちょっと待って・・・!)と思ったところで起きてしまいました。
なんとも漫画チックな夢でした。
 
夢に見るほど憧れてる人ですが、自分自身疑問に・・・いや、不快に感じます。
あれだけ、人を好きになるのはやめたい、と願ったのに、と。
 
初めて人を泣かせたときから、初めて人にふられた時から、ずーっと考えてること。
果たして自分は本当に人を愛していいのだろうか。
人に注目されるような人になりたい、だなんて・・・そんなに目立っていいのだろうか。
ボクが割りと人見知りなのも、引きこもりがちなのも、きっとその呪縛。
そうでなかったとしても、人を愛することは本当に苦手だ。
 
ボクね、ホントのところ、昔いじめられたことがあったんですよ。
まぁ、小学校の小さいころですからね。向こうに悪質な動機なんてなかったんでしょうけど。
それにしたって、大分へこみましたよ。これでもかってくらい。
いじめたと思われるのは確かクラスメイト+その当時の先輩だと思われる。
もともと同姓と付き合うのは苦手で、ましてや先輩後輩関係ではもっとダメだったんです。
おかげで一種のトラウマになりました。今ではだいぶ何とかなりましたが。
 
ま、そのおかげといっちゃ何ですが、人間不信の危機に陥りまして。
もともと何かに触れるのは苦手ですが、人間まで触れたくない、ときちゃたまったもんじゃない。
その時は何とかなりましたが、問題は小六のころでした。
 
小六のころに何があったかというと。
1、ふられる。
2、自らの正義感がばかばかしく思えるように。
3、先生が生徒達により体調不良に。丁度この時期に違う先生が担任をしてました。
など。
 
まぁ、ふられるのは自分が悪いんですけどね。うん。
そんな不甲斐ない自分が嫌いで嫌いで。今でも大っ嫌いです。
だから人を好きになってはいけない、って自分に制限かけたんです。それなのに・・・。
 
あとね、昨日の記事の根源でもあるんだよね。
自分が正しいと思うことは決して万人に通用するものとは限らない、って。
そう思ったとき、馬鹿馬鹿しく思えたね。もう本当に。
生きてる世界が違うだけでこんなに人は変わるんだ、って。
最近では戦争の地域の悲惨な状況の映像を見たのもあり、本当に、そう思います。
 
どんなに正しいことをしていても。
大多数が「間違っている」といえば間違ったことになる世界だから、しょうがないのかな。
 
本当に。
だから、人が大嫌い。
そしてそれ以上に、そんな考えしかできない自分がもっと嫌い。
 
いやよいやよも好きのうち、とは絶対に違うこの感覚。
毛嫌い、に近い感覚。
心情なんて当てにならないものに、言葉以上に揺らぐセカイに、何を頼ろうというのだろう。
自分を頼るとはいえ、感情に左右されるのは間違いでしょう。
 
恋なんて、病気と変わらない。
よく言うでしょう、恋は盲目だって。
盲目は病気、恋だって病気だと思う。
気が病んでしまえばそれは病気なんだ。
愛しいと思う心と苦しいと思う心はほとんど同じでしょ。
 
ただ、この病気の最大の難点は、治療法が無く、それであるにもかかわらずに冷めてしまうこともある、ということ。
 
心情なんて。
そう思うこの心ですら心情の一つなのだから、怒るにも怒れない・・・。
この行き所の無い憤りを、置き場所の無い苦しみを、いったいどこまで引きずればいいのだろう。
 
これが怪我であると信じたい。
怪我なら、いつか必ず、治るから。