文化。

今日はコミケ三日目でした。
 
さて、ボクは早朝から人ごみの中へ。
久々です。なんというか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここまで読んで期待した人はいませんよね?
もちろんディズニーランドですよ?
 
さてさて。
ボク自身割と楽しんでいたのですが、親からは「楽しんでる?」的な質問を今日何度されたことか。
ついでに「今度の定演の時用に、この被り物買ったら?」とかも結構言われましたがスルー。
まぁね、妹と(いつものように)楽しんでいた父には「よく年甲斐も無く・・・」とか本気で思いましたけどね。
それでもあんな妹を手懐けられるのは内心羨ましかったりもする。
・・・別に手懐けたいわけじゃないですけど。
まぁ、終始ムスっとした顔だったのは間違いないらしい。内心は微笑んではいたのだが。
 
楽しかったんですよ?楽しかったのです。
ですが、本当はこうやってPCと向かい合っていたかったのですよ。
というのもね、自分短気だから人の行動とかすぐ腹立っちゃって。
そうなってしまう自分がいやなので、あまり外には出たくないんですよねぇー。
ま、本当はそれだけじゃないんですけどね。
何故こんなことを書いたかといえば。
 
とあるアトラクションでの待機中でのこと。
後ろの中国人家族がやけにぶつかってくる。正直注意したいが自分には中国語が話せる・話せない以前にまず中国語かどうかすら分からないわけだ。
そうでなかったとしても、向こうだってきっと日本語なんて分からないだろう。
つまりは日本語で注意するんじゃ意味が無い、ということ。
まぁそんなのはどうだっていいんだ。素人に言語の壁は早々簡単には破れないから。
ただね、それ以上に怒ったのは、家族であろう人物が注意しない、一緒になって騒いでいる。
今風に言えばまさしくKYである。というかただのキチガイか、というくらいひどかった。
 
閑話休題、日本は恥の文化であるとはよく言う。というか誰か言ってた。
対して中国は中華至上主義をもとに文化を形成された、と思われる。日本人のボクからすれば。
要は、空気を読んできたか、空気を作ってきたか、の違いであろうか。
極端に酷い言い方をすれば、中国人は自分だけ良けりゃいいのである。日本人はシャイすぎるのである。
 
さて、話を戻そう。
まぁね、そりゃディズニーですよ。子供が騒ぐなら分かるし、事実騒いでたのは子供なんだから仕方ないといえば仕方ない。
だが。
どうみても中・高生くらいの外見の人まで騒いでいたらダメでしょう。というか騒ぐにしたって周りのこと考えるべきでしょう。
まさに家族単位での修学旅行。
周りなんてどうでもよく、自分達が楽しめればいい・・・。そんな雰囲気でした。
 
日本には恥の文化らしくこんなことわざがあります。
「郷に入っては郷に従え」
もちろん中国にはその文化を反映したことわざがあると思いますが・・・

ここは日本だ。

あなた方よそ者の分際で人の土地の風習を乱されても困る。
あなた達はあなた達の世界で生きてください。というか生きやがれバカ野郎。
それができないなら日本にいなくて良い。
自由の国と化しつつある日本だが、だれも人の楽しみを奪うことまでは許可していないはずだ。
そこら辺をちゃんと踏まえて欲しいものである。
ここは日本だ、ということを。
ここは外国だ、ということを。
 
ではその中にいる日本人はどうか。
酷すぎる。たるんでいる。はしたない。だらしない。
高が一時期の流行に惑わされるなんて。
外国のものにだけ目を光らせるなんて。
日本も知らない人間が、自国もろくに知りえない人間達が、他国を知りえるはずが無いだろう?
確かに流行は目新しいものが多く、人々の目を惹くようなものが多い。
だが。
そんな永遠に続くいたちごっこをして楽しいか?
大体流行なんて誰かが勝手に作るもの、メディアが勝手に広めるもの。
そこにあなた達流行に従う身の創造性は無いんですよ。
色だとか、材質だとか、所詮は決められたものでしかない。
音楽にしたってそう。
ちょっとブレイクしたからって芸人がCDなんて出しやがって。
そんな歌詞に心も方向性も無い、ギャグをただ連呼するだけの曲なんて、歌じゃないと思う。
音楽に詞をのせれば、それは曲にはなる。
だが、そこに心が無ければ、歌にはならない。
RAPにしたって何かしら意味がある文であることが多いでしょう。
リズム感を出させるための「韻を踏む」ということはあくまでも歌詞の方向性に合わせて付け加えるためのもの。
歌と分類されるものに、心の無い歌なんて無い。
 
それと、自己の確立の達成度。
ただおしゃれして、ただそこにいるだけじゃ確立していることにはならない。
格好いいのは、そこに自己が確立しているから。
どんなにセンスが良くても、身も蓋も無きゃ格好悪い。
 
ピアスをしている人とか見てて思うけど。
そんなに身体改造しないと自己が見出せないの?って。
誰かと違う、だなんてそんなことしなくったってすぐ分かる。
目つきだって違う、癖だって違う。
知性と本能の塊である私達が、なぜそんなことをする必要があるのだろう?
そんなに不安か?
自分自身であるかどうかさえ分からないほど不安なのか?
ならそのままその不安を抱えるがいい。
それを乗り越えて初めて自分らしさに気付くから。
その不安を紛らわすための行為など、所詮戯れに過ぎないから。
 
カオスに触れろ、強くなれ。
 
日本人なら、芯が強くなければならない。
表に出さないだけで、中には強大なパワーを持っている、ってくらいが丁度いい。
凛とすること。
是すなわち日本人であること。
 
最後に。
外国に行く際は外国の文化をよく理解した上で行くこと。
あなたのその行動で、もしかしたら日本の高感度が下がるかもしれませんよ。
それから、もう一度古きよき日本の文化を思い出すこと。
日本の文化は、日本人である以上、心得るに越したものはありませんからね。
 
それでは、長々と失礼しました。
おやすみなさい。