更新

今、自分の最寄り駅は変わりつつある。
再開発をしているのだ。
だからついこの間までは鉄骨が見え隠れしていたのだが、最近の技術の凄さだろう、今ではあっという間に外壁が出来上がる。
つい最近と思っていたものも、いつしかそれは思い出になり、誰かのメモリアルの一つとして語られる。
哀愁とセピア色に霞ながら。
 
 
思えば今年もあと60日余りである。
こうして騒がれた世紀末から10年近くが経とうとしているわけだ。
さらに、時代が急速に変わっていく90年代の初めから20年だ。
十年一昔、というが、あまり実感がわかないのが本音である。
 
 
自分の幼少時の記憶がもう20年弱昔の出来事、と考えると驚愕を覚えずにはいられない。
安室奈美恵さんや浜崎あゆみさん、CHAGE&ASKA小田和正さん、T-SQUARECASIOPEAなどの時代が20年も昔のことと思うだけで悪寒がする。
音楽だけではない。
携帯電話一つにしてもその技術の発展が大いに伺えるし、オリンピックに出場する選手の顔ぶれもまた、その時代を反映したものと思われる。
いずれにしろ、自分の根底にあるものが昔話になりつつあることに、憤慨やためらいの類を隠せずにはいられないでいる。
 
 
形あるもの皆滅びゆく…。
祇園精舎の鐘の声…。
仏教思想にすがるつもりは更々ないが、それに準ずるものはあるかもしれない。
とにもかくにも、無常をうたわずにはいられないほど、無理やり笑顔を作ることに必死だ。
「そんな時代もあったねと」言える自信がない。
若気の至り、と言ってはなんだが、自分の根底にあるものが全て、と思うことがある。
自分の信じたものはみな先進をゆく、と。
だけども時代は必ずしもそうではないし、ましてその時代から落ちていったものかもしれない。
だからといって今あるものが全てでもなくて。
 
自分は一昔前の流行に着目する傾向があるように思う。
少なくとも流行に敏感ではない。
全てマイペースで、マイブームなんですよね。
だからインディーズも超有名バンドもごっちゃに好きになる。
だからこそ時代の変遷を憂いがちになる。
 
たかだか十年。
されど十年。
 
生まれるものは数知れず。
滅びゆくものは数知れず。
そんな中をさまよって、そんな中を漂って。
 
 
 
そうやって、時代を憂いながら、死んでいくのかな。
そうやって、無力なまま。
 
 
まあ、それでもいいさ。
 
 
こじつけでも適当に生きていきゃなんとかなるよ。
多分。