逃避的対処
同情は、本当に優しさだろうか?
平べったく言えば、その同情の奥にこれっぽっちも下心がないといえるだろうか?
よく知りもしないことを知ったような風な口で語ること。
味わってもいない苦痛をあたかも自らも受けたかのように話すこと。
そのどこに優しさがあるのだろう。
せめて自分だけはそうはしないようにせねばなるまい。
だからひとつだけ。
「好きなだけ、話してくれればいい。」
自分が話せる事は、その聞いた範疇でしかないのだから。
だから、それ以上は話さない、話せない。
妙な詮索は、かえって失礼に当たる。
過度の思いやりは、かえって傷つけることになる。
だから、なにも、できない。
しなくてもいい、きっとそう。
でも、そこに苦しんでいる人がいるのに、何一つできない。
だから、せめて。
せめて。
思う存分話してくれ、と。
全部聞くから、と。
とある一件からそう思うようになりつつある。
詳しくは書かないけど。
元気出せ、なんていわないから。
とりあえずそれらしく振舞ってくれれば。
それらしく振舞ってくれるだけで、十分だから。
自分には、それで十分だから。
うん。