妹へ

兄です。
今日は母の日でしたね。
いつかあなたもまた母になるのかな、なんて思うと不思議な気分です。
今日は、そんないつか母になるであろうあなたについてちょっと考えていることがあって、こうやって話をしようと思ってます。
口頭だと普段のようにダラダラと続く軽い話のようになってしまうから、こうして文面でしか言えないことを詫びておきます、ごめんね。
では。

反抗期真っ盛りのあなたはよく親に反抗しますよね。
そりゃ当然だと思います、そういう時期ですもの。
兄も兄なりに学校の提出物をやってないのに「やったよー」なんて言ったり、にもかかわらずパソコンで遊んだりしては怒られてました。
誰にでもそうやって「たてつきたい」時期はあります、それはわかってます。
そんな時期の人にこういうことを言うのはあまり意味がないような気もしますが、あえて言わせてください。
「たてついた」相手の感情を考えたことはありますか?
一瞬でも、自分が同じように今の自分のような子を持つ親になったことを考えたことはありますか?

家出をしたあなたを追いかける親のセリフまで考えたことはありますか?
追いかけてよ!と催促する母の感情と、催促されて渋々行く時の父の表情とセリフを、考えたことはありますか?
仕事を二の次にしてあなたの部活や学校関係のことで教職員とうまく話をつけに行かなきゃいけない、という時の親のココロを考えたことはありますか?
作ったご飯を見もせずに「いらない」と言われる瞬間の、料理人の気持ちを考えたことはありますか?
本分である学業を省みずに携帯や音楽に走るあなたを見守り援助する、その親の気持ちを考えたことはありますか?

一度、とりあえず一度でいいです。
じっくり、「今の自分のような人々だけの世界だったら」、「今の自分のような人々だけの家族だったら」ということを、真剣に考えてみてください。
本当に、そのままの自分でいいのか、考えてみてください。
できることなら、「考えても分からない」自分を徹底的に否定してください。
天才とうたわれるアインシュタインは、ひとつのことを何年も何十年も考え続けたからこそあのような偉業を成し遂げた人です。
努力の天才であるあなたなら、出来ない話ではないと思います。

恩着せがましい言い方になってしまうのは本当に申し訳ないです。
「私の何が分かるんだよ」と言われても仕方ないですね。
ですが、あなたのことが分かる人なんて、いないに等しいのですよ、家族を除けば。
親族でさえちゃんとあなたを知っているわけでもない、親友だってあなたの比較的表面的なところまでしか見られない。
家族を除けば、無条件にあなたの味方になってくれる人なんて、いないのですよ。
そして家族は、あなたの味方であるからこそ、あなたを叱り、あなたを怒鳴りつけるのです。

ちょっと話を変えましょうか。
あなたは「大人になる」ってどういうことだと思いますか?
あるいは「社会人になる」ってどういうことだと思いますか?

日本では20歳になると「成人」します。
急に大人になったかのように扱われます。
でもそれは、あくまでも行政側の「制度」に過ぎません。
成人しても大人になれない人は、たくさんいます。
成人式の日のニュースを見たことはあるでしょう?ああいう不可思議な人たちも「成人」なのです。

中学を卒業して高校に行かずに就職する人たちも一般には「社会人」といいます。
とすれば、何か定職に就いてちゃんと働いて金を稼ぐ人たちのことを「社会人」と言えるわけですが、では逆に、定職につかず、金も稼がず、しかし学生でもなんでもない成人達は、社会人ではないのでしょうか?
おそらくそれは違うでしょう。
学生をやめて「社会」に関わるようになった途端、働こうが何しようが人は誰でも社会人になるのだと、兄は思います。
どこかの国にいる限り、そこで暮らしを営む限り、人は誰しもが社会に関わらざるを得ません。
まぁそういう話はまたいつかしましょう、今はそれを言いたいんじゃない。

では大人とは、社会人とはどういう人をいうのでしょう?

それは、「社会を自らが支えていると強く意識でき、かつ社会に自らを支えてもらっていると強く意識できる人」のことだと思います。
社会に積極的な参加をすることで自分の属する社会を盛り立てつつ、その属する社会にいる他の人にも同様に盛り立ててもらっている、と思える人のことを言うのだと思っています。

あなたは、これまで一人で生きてきましたか?
あなたは、これまで誰かを一人で生かしてきましたか?
どちらも「ノー」のはずです。

それでは、あなたは、これまでにしてもらった「恩」や「礼儀」をどのようにして返すつもりですか?
返却不可能な相手に恩や礼儀を感じたとき、あなたはそれをどうしますか?
ただ自分のいい思い出として片付けますか?
それでは、社会人としてだめなのです。

共生するというのは、そういうことなのです。
誰かにしてもらったことを、今度は自分が「他の」誰かにしてあげることなのです。
誰かから無償で受け取ったプレゼントがあるなら、例えそれが自分のデメリットになるとしても、同じように他の誰かに「善意をもって」無償でプレゼントをあげなきゃいけないんです。
見返りを求めないでもらったものを、今度は自分が、見返りを求めずに誰かにしてあげる。
「親切」ってそういうものでしょ?

さて、そろそろ話を戻しましょうか。
もう何が言いたいのか分かってきたかもしれませんね。

先に「無条件で味方してくれるのは家族だけ」と言いました。
そう、最初から親切にしてあげられるのは、家族だけなのです。
そしてこのことは、他のどの共同体や社会でも起こりえません。
最初から親切にしてくれる人々はよほど人がいいか、あるいは何かウラで企んでいる危険な人のどちらかです。
一般に「世間」といわれるところでそういうことがあったら九割方は後者ですので肝に銘じておくように。
そして必ずいつか、今いる家族は、死にます。
あなたの目の前から、姿を消します。
霊となるかどうかは知りませんが、確実に肉体は朽ち果てて消滅します。
そうして無条件に味方してくれる人が消えるということは、つまり心安らかにできる場所を、「家」を失くすのと同じことです。
帰る「家」を無くしたとき、あなたはどうしますか?
新しい家を作りますか?ではその家を作るのはあなた一人ですか?その材料は誰が調達しますか?
誰かの家に泊まりますか?そんなに安心できる他人の家を見つけられますか?

私たち家族は、これから先、あなたが「新しい家」を探せるように、そこに住めるように、あなたを全力で応援しているのです。
そのために叱咤し、そのために激励しているのです。
私たちは必ず死にます。
その時、あなたが帰る家に困らないように、私たちは、私たちが死ぬよりも前に、あなたに家の作り方を、家の探し方を教えているのです。
あくまでも、親切心として。

「家」は、言い換えれば「家族」であり、「友人関係」であり、所属する「社会」です。
どこにでも、探して作ればそこに「家」はできます。
ですが、最初からある「家」は、他の何者にも代え難い絶大な信頼感を持つものです。
男である兄には計り知れない話ですが、母というのは特に偉大な「家」になりうる存在です。
母自身が腹を痛めて数々の苦痛を乗り越えて授かった命である以上、その涙と努力の結晶である我々「子」は宝石以上の宝物なんです。
彼女にとって、あなたはまた、何者にも代え難い「家」なんです。
父だって、あなたを養うために、愛する母を養うために、汗水たらして頑張っています。
自分のしたくない仕事や業務を押し付けられても、グチを言いながら渋々引き受けながら必死になって働いています。
面倒くさい仕事の付き合いだって我慢しながら、家では色々と罵られながらも、けれども自分のためだけでなく、家族のために、あなたのために頑張っています。
あなたが安心して何不自由なく過ごせるように。
そのことを、深く、強く感じてください。
そしてそういうことを常に想い続けられる「素敵な大人」になってください。
大学生になったばかりの若造が言える話じゃないでしょうけど、でもきっと、同じ二人の子である以上、あなたにもそう思える瞬間がくると思います、そう信じています。

最後に、兄自身の話でもしましょうか。

最近は家に帰ってはご飯を食べながら野球を見て笑っているだけのように思ってるでしょう。
事実そうなので否定はしませんが。
心のどこかで、「兄ちゃん家のことなんもしてないよ」と思ってませんか。
まぁそう思われても仕方ない暮らしぶりなので否定はしませんが、言い訳だけでもさせてください。

あなたは「兄だからできるんだよ」と時々言いますね。
そんなことないことがほとんどですが、今のあなたは確実に兄よりもできないことが一つあります。
それは、「場の空気を和ませること」です。
あなたは家の空気を活発にさせることは非常に上手いです。
それは兄以上に上手いことです、それは確かなんです。
ですが、場を落ち着かせる空気にするのはできないと思います。

兄自身、家では確かに大したことしてません。
目に見えてわかるようなことなど大してできてないだろうし、親孝行もちゃんとできている気がしません。
ですが、兄は他の誰よりも、「場の空気を和やかにさせる」ことに気を払っています。
それはなぜか。
あなたは気にも留めないでしょうけど、家は心身を休ませることのできる場であるべきです。
ということは、リラックスできる雰囲気や空間が必要なわけです。
まぁ兄はそういうのが好きですし、そうありたいと願っているのもありますが。
(殴り合いの喧嘩がほとんど無いだけまだ幸せな方だと思っていますが)言い合いのケンカが時々起こるこの家をそのような雰囲気で包みたい、そう思ったときに兄のような「緩衝材」が必要だと思うのです。
どこか落ち着ける、そんな空気を出すことで、家の中もどこか暖かくなるような気が、兄はします。

兄は、暖かい家が好きです。
怒ることもあるけれども、平均してみればなんとなくにこやかでいる時間の方が多い、そんな家が大好きです。
いつまでもそうありたいものです。
だからこそ、「緩衝材」であることを選び、そのために気を払い、そのために胃腸が荒れることになってもずっとそのことばかり考えています。
まだ予定はないですが、いつか兄が結婚して家庭を支えるようになっても、そういう暖かさのためにこの身を削っていこうと思ってます。

そして、そういう「献身さ」を、これからのあなたに求めていきたいと思っています。
ただの我慢ではありません。
自分を多少犠牲にしてでも他の誰かを幸せにしたい、そう心から思えるようなあなたを、兄は求めています。
家族は勿論、それを友人や赤の他人にまでできるようになれば、あなたは非の打ち所が無い素敵な人になれるでしょう。
それは兄が保証します。

最近またちょっと胃の調子が悪くなってきました。
兄の胃は弱めなので、色々と考え込むとすぐ不調を感じます。
兄ももう少し、気を使わないで生きていきたいです。
じゃないと体が持ちそうにないなぁ。


こんなところでいいかな。

まぁこの文章を読む頃に兄が生きているかもわからんし、なんならあなたが見るかどうかも怪しいけどね。
読むのはいつになっても構いません。
ただ、これだけは言っておきたくて。

健やかでたくましいあなたが誇らしく羨ましいです。
それでは。